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「ChatGPT」と「人の思考」の違いを、小4でも体感できる授業とは
東京学芸大学附属小金井小学校ICT×インクルーシブ教育セミナーより
2023年12月12日 06:30
生成AIを学校教育でどのように扱うのか、さまざまな試みが始まっている。全体の印象としては、仕組みの解説とセットで体験的に使ってみるというスタイルが主流だが、まったく違うアプローチで授業に取り込んでいる例がある。
子供自身は生成AIを使わないが、生成AIを授業に登場させて、人の思考との違いを子供たちに実感させる設計だ。2023年11月18日に開催された東京学芸大学附属小金井小学校ICT×インクルーシブ教育セミナーvol.6で公開された授業と、生成AIに関するトークセッションの様子をレポートする。
フォームで意見集約後に生成AI「ChatGPT」が登場
同セミナーで公開された授業のひとつが、鈴木秀樹教諭による4年生の国語科「プラタナスの木」の単元だ。この日は8時間のうちの6時間目にあたる終盤。「マーちんたちは、またおじいさんに会えるだろうか」というテーマで意見交換を行った。
まず個人でデジタル教科書の「マイ黒板」機能を使って根拠になる部分を抜き出しながら考え、その後グループ内で意見を共有した。
その後、鈴木教諭が用意したフォームに全員が自分の考えを書き込んで送信し、即時意見が集約された。選択式の回答では、「おじいさんにまた会える」、「もう会えない」、「その他」に意見は分かれ、具体的にはそれぞれさまざまな意見が並んだ。鈴木教諭はここで全員の意見に目を通すのではなく、生成AIのChatGPTを登場させた。
まず物語の前提となる情報をChatGPTに伝え、次に児童の意見部分だけを取り出したスプレッドシートを用意し、「子供たちは、『マーチンたちは、おじいさんにまた会えるか』ということについて、深く考えたと言えるでしょうか。分析してください」というプロンプトともに送信した。
するとChatGPTは、「物語の中での出来事を自分たちの感情や経験に結びつけ、物語の結末について想像力豊かな考えを持つことができています」と子供たちを評価する文面を返した。子供たちは「いぇーい」とうれしそうだ。
そこですかさず鈴木教諭は、AIがこの問いについてどう考えているかを聞いてみようと持ちかけた。「では、あなたは『マーちんたちはおじいさんにまた会えるかどうか』ということについてどう考えますか」とプロンプトを書き、実行する前に子供たちにAIがどんな回答をしてくるかを予測させた。
生成AIの返しを予測する子供たちの指摘は的確
ある児童は、「わたしはAIであり、個人的な感想を持つことができません。申し訳ございません」と回答すると予測。笑いが起きた。これまでも鈴木教諭はこのクラスで生成AIのふるまいを子供たちに実感させるようなしかけの授業を実施してきている。そのため、ChatGPTのような生成AIが出力する文章が、人の思考とは異なるものであるという感覚が児童の間に定着している様子だ。
また別の児童は、「おじいさんは普通の人間で、プラタナスの木が切られたことにより暑いから来なくなった」と回答するのではないかと予測。そう考えた理由は「AIは人みたいな想像はできないから、文章に書いてあることからしか考えられないから」と説明した。より具体的に生成AIの限界を予測している。
この発言を受けて鈴木教諭は、これまでの授業で子供たちが「おじいさん」の存在について、「精霊」や「幽霊」というキーワードでさまざまな考えをめぐらせたことを振り返った。そして、「それってみんなが出してきた言葉だよね。本文の中で精霊とか幽霊とか一回も出てきていないよね」と補足し、AIは人と同じように思考するわけではないことを示唆した。
いよいよ鈴木教諭が、用意しておいたプロンプトを実行し、ChatGPTの回答が出力された(下図参照)。その文面を見ると、子供たちが考えてきたような、「おじいさん」の存在についての疑問や想像力が働いた跡はない。当然「精霊」や「幽霊」のような“発想”は見られなかった。
鈴木教諭が読み上げ、児童にこのChatGPTの回答にどのくらいの納得感を持ったか聞いてみると、全く納得できない人から一部納得できる人、大いに納得できる人まで受け止め方はさまざまだった。「遠回しに話していて結論を言っていない感じがして納得できません」という声も上がった。
「こうやってAIが出してくると、『いやそうじゃないんだよ』とか、『それじゃ不十分だよ』とかって思ったりもするわけでしょ。それは、みんながプラタナスの木をしっかり読んできた証拠かなと思うよね」と鈴木教諭はまとめ、次回の授業につなげた。この日の授業では、生成AIの回答を受けた後の展開に十分な時間は残らなかったが、ChatGPTの回答を契機に、子供たちの思考が刺激された様子が見えた。
究極の人工物をぶつけることで生まれる、人の思考への気づき
ここでもうひとつ、鈴木教諭が1学期に実施した生成AIをつかった授業を紹介しよう。
国語科の「お礼の気持ちを伝えよう」という単元の一環として、宿泊行事でお世話になった管理人さんへのお礼状を書いた時のことだ。子供たちがある程度書いたところで鈴木教諭は、ChatGPTにお礼状を書かせてみようとクラスに持ちかけ、小学4年生が書くようなお礼状を生成させてみた。
ChatGPTが生成したお礼状の文面を見た子供たちは、強い違和感を持つ。宿泊行事では実際に起きていないことが書かれていたからだ。なぜそうなったのかを問うと、子供たちの間からAIが宿泊行事を「経験していないから」だという気づきが上がった。そこで、鈴木教諭は生成AIが大量の学習データをもとに回答を生成しているという成り立ちを説明したのだ。このタイミングで聞けば、仕組みの話もイメージしやすい 。
さらに、「お礼の気持ちを伝えるならそこじゃない? 君たちしか体験していない感動、君たちしか体験の中で抱かなかった感情。それを書くことが、お礼の気持ちを伝えることにつながるんじゃない?」と投げかけ、お礼状のブラッシュアップにつなげたのだ。
いわば究極の人工物である生成AIの文章を、子供たちの思考と対比させる形でぶつけることで、子供たちの思考を刺激し、それと同時に生成AIが人の思考とは違うということを体感できる場にしたのだ。こうした授業を折に触れて1学期から繰り返してきたことで、徐々に子供たちの間に生成AIへの適度な距離感が醸成されてきたのだろう。
実は鈴木教諭は常に自身でプロンプトを打って生成AIに実行させていて、子供たち自身に生成AIを使わせる授業は今のところしていない 。それは、ChatGPTの年齢制限の問題だけではなく、どう授業に組み込めば子供たちに生成AIの姿を誤解なく伝えられるかを考えてきたことによるものかもしれない。
生成AIを4年生に教える限界
同セミナーでは、鈴木教諭とNHK解説委員の木村祥子氏による「生成AI@インクルーシブ教育」というトークセッションも行われた。木村氏は教育分野の解説委員として鈴木教諭の生成AIを使った授業を取材した経緯があり、本セッションが実現した。
木村氏は同校を含め生成AIを扱う授業を複数取材した経験から、まだ広く生成AIが教育現場に浸透しているわけではなく、これからだと実感しているということだ。7月に文部科学省から「初等中等教育段階における生成AIの利用に関する暫定的なガイドライン」が出たため、それまで触るのを控えていた人も使ってみるようになると予想していたものの、取材先では、教員も子供も研修や授業で初めて触るという人ばかりだという。
木村氏の取材先のひとつ、つくば市はICT活用に積極的で、小学5年生から中学校の全てで生成AIの授業に取り組んでいる。そのカリキュラムは、(1)AIを知る、(2)長所・短所を整理、(3)使い方を考える、(4)よりよく活用するというステップであることを木村氏は紹介した。これは文部科学省のガイドラインをふまえて定めたものだろう。
鈴木教諭はこのステップに出てくるように、生成AIのしくみや特徴を説明するところから入るというアプローチは、年齢によっては非常に難しいことを指摘した。例えば小学4年生では、統計的な概念は割合や平均すらまだ学んでいない。この段階で、「大量のデータから統計的に答えを導き出して……というような説明をしても全然わからないんですよ」と鈴木教諭は実感を込めた。
実際、昨年度鈴木教諭が担任した4年生のクラスで、専門家にAIの話をしてもらう授業を行ったとき、世の中のAIの実例を夢中に聞いていた子供たちも、ひとたび仕組みの話になるとついていけない様子だったそうだ。「これが4年生の限界だなと思ったんですね。それで私は、授業の中でいろいろ体験させながら、“生成AIってこういうふうなものなんだな”ということを教えていくしかないんじゃないかなと思ってトライしてきました」と、これまで行ってきた生成AIの授業の意図を説明した。
概して大人の視点では、仕組みを説明すれば大丈夫だと思いがちだが、子供たちの発達段階で無理なく受け止められているかを丁寧に点検し、難しいと判断したら、仕組みを体感できるような文脈の授業作りに転換するというのは、教育者ならではの視点で、なるほどと感じさせられる。
生成AIについて子供たちに本当に知って欲しいのは、「生成AIは間違いを出力することもあるから自分で内容を確かめよう」という表面的な利用の注意点よりもむしろ、「今の生成AIの仕組み上、間違いも出力されるのは当然」という構造的なイメージの方だ。この日の公開授業で見た子供たちの反応は、後者の感覚や距離感を持っていると感じられるものが多く、心強く感じた。
鈴木教諭は、中学生など年齢が上がれば前提条件は全く変わるとした上で、それぞれの年齢にふさわしい形で「どうやって生成AIと子供たちを付き合わせていくかというのは難しいところだなと思っています」と続けた。特に、生成AIに人格や感情を認めてしまうような反応が子供たちから出てきやすいため、その点には危機感も持っているということだ。
新しい技術は、大人自身が迷いながら受け入れている最中で、飛びつく人もいれば、拒絶する人も、そもそもまだ知らない人もいるというのが実情だ。教育においてどう扱うのが良いか簡単に答えが出るようなことではなく、現在進行形で迷い、試しながら進んでいくしかないことなのだろう。
生成AIを不登校支援等に利用できる可能性を探る
インクルーシブという観点で、木村氏は生成AIの使いどころをいくつか提案した。そのひとつが不登校の子供たちの支援だ。木村氏は、不登校の子供たちがメタバース空間にオンライン登校する取り組みを取材した際に、子供たち同士の会話がテキストのチャットを含め全くないことが気にかかったという。討論をする際にも子供たちからはリアクションがない状況だったため、「もしかしたら、生成AIがこの討論に加わっていれば、何か変化がおきるのではないか」と提案した 。
鈴木教諭はこれに共感し、「チャットもつらいという子たちが、本当に同年代の子たちとコミュニケーションを取りたくないかというと、他の子たちが何を考えているか知りたいけれど、そこに足を突っ込むのが怖いという子もいると思うんですよね」と分析。具体的なアイデアとして、ChatGPTで登場人物やテーマを設定して会議を実施させる手法で、「擬似的に同年代の子たちとコミュニケーションをとる練習ができるんじゃないかと思います」と可能性を示した。
相手が人ではないことで心の抵抗がなくなるという実例は既にある。同校の養護教諭兼特別支援教育コーディネーター佐藤牧子教諭の事例だ。ある児童が母親と喧嘩してどうやって仲直りするかを悩んでいたときに、教員からのアドバイスは素直に聞けなかったものの、生成AIで複数のアドバイスを出力して見せたところ、そのひとつを選んでやってみようという気持ちになれたそうだ。鈴木教諭はこの話を紹介し、「教室にいけないとか、人とのコミュニケーションが苦手な人にとってのツールとしては、かなり大きな可能性があるのではないかと思います」と話した。
木村氏は他にも、外国籍などで日本語が不自由な子供たちの学習支援や、山間地域や離島など子供が極端に少ない学校、また、英作文の添削などに生成AIが使えるのではないかと提案した。いずれも、生成AIだけに限らず、さまざまなデジタル手段やAI技術が支える翻訳ツールなどを活用することで、これらの課題が緩和されるのは間違いないだろう。
教育現場には、利便性を学習にとってのマイナス要素と捉えたり、学習手段は全員同じにすべきだという声も根強くある。しかし本当に子供たち一人一人のことを考えるならば、デジタルの力で救われたり、より豊かな体験ができるようになる子供たちがいることを決して見過ごしてはいけないし、学びの手段は選べるようにするべきだ。それがより多くの子供たちが等しく学びのスタートラインに立つことになるのだということを、改めて確認しておきたい。