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生成AIは「知性の拡張」、アカデミック視点から語るAIの教育活用
2025年2月5日 06:30
生成AIの進化が止まらない。日進月歩で進化を遂げるAIはさまざまな分野に大きなインパクトを与え、私たちの価値観や行動変容を求めている。教育現場も例外ではなく、文部科学省が生成AIの利活用に関するガイドラインを発表するなど変革に踏み出しているが、現場は依然として不安と挑戦が交錯しているのが現状だ。
こうした状況下で、保護者や教育者は生成AIをどのように捉えるべきなのか。また、生成AIは教育にどのような恩恵をもたらし、学びをどのように変えるのか。これらの問いに対し、AI教育推進機構の代表理事であり武蔵野大学名誉教授の上林憲行氏に、社会的なインパクトを加味してアカデミックな視点から語っていただいた。
人類は「知性の拡張」という能力を獲得した
― 生成AIの登場が意味するものとは何でしょうか。私たちはこの変化をどのように捉えるべきでしょうか?
現在、AI技術の革新は目覚ましく、それに伴ってさまざまな情報が広がっています。しかし、その中には、AIに対する漠然とした不安や誤解された脅威論など、社会をミスリードするような情報も見受けられます。
一方で、私たちは意識せずともAIを活用する環境へと進んでいます。例えば、Apple製品には「Apple Intelligence」、Microsoft製品には「Microsoft Copilot」、Google製品には「Gemini」といったAI技術が組み込まれており、日常生活の一部として浸透しつつあるのです。パソコンやスマートフォンで使われている基本的なソフトやツールは、この先、どんどんAIファーストに変わっていくでしょう。
このような流れが加速している理由の一つとして、生成AIの自然言語処理技術が飛躍的に進化し、もはや不自然さを感じないレベルにまで到達したことが挙げられます。これによって、複雑な操作を必要とせず、人間が会話するのと同じように自然な言語でコンピュータと対話しながら作業を進めることが可能になりました。
こうした時代を、ある識者は「シン人類」と呼んでいます。シン人類は、AIの進化によって「知性の拡張」という新たな能力を獲得しました。従来のAIが可能にした視覚や聴覚の拡張にとどまらず、人間の知性そのものの拡張が起こっているのです。
実際に、生成AIを活用することで、生産性が飛躍的に向上するだけでなく、クリエイティブな分野でも多くの新しい可能性が広がっています。これは、生成AIが単なる効率化や自動化のツールではなく、「知性の拡張」を実現するツールであることを示していると言えるでしょう。
みなさんには、このようなAIの本質を理解し、私たちが今、「知性の拡張」を体現する時代に突入したことを認識していただきたいと思います。
AIによって「問い」と「対話」で学ぶ時代へ
― 生成AIを活用することが当たり前になる時代において、教育はどのように変わっていくのでしょうか?
生成AIは、教育現場に大きなインパクトをもたらす変化であるため、今の時点で「教育はこう変わる」と言えず、現時点ではまだ試行錯誤の段階です。しかし、生成AI登場直後に見られた混乱や議論が徐々に収束しつつあり、新しい教育の枠組みや求められる人材像をようやく描ける段階にきたと考えています。
AIの影響については、様々な学会やシンクタンクが将来的なビジョンを発表していますが、もっともAIの恩恵を受ける分野はヘルスケアだと言われています。そして、その次に影響を受けるのが、教育です。
アメリカでは、すでにK-12すべての学校でAIを導入する「AI-ready School」の議論が始まっています。この動きは、日本においてもGIGAスクール構想の先にある新しい教育を考えるとき、重要なビジョンの1つとなるでしょう。
なぜなら、PCを使えるか否か以上に、AIを活用できる人とできない人の間では格差の広がりが予想されるからです。こうした格差を生み出さないためにも教育が果たすべき役割は非常に大きいと言えます。
以前から言われてきたことではありますが、教育においては「自ら学ぶ力」を伸ばすことが大切です。一方で取り組み、これまで重視されてきた知識は、技術進化に伴ってどんどん陳腐化していきます。重要なのは、正解のある課題を人より早く解く力ではなく、解のない問題に適応し、答えを模索する能力を身につけることです。そのためには、「自ら学ぶ力」を育むためのAI活用が求められます。
私は、AIによってソクラテスメソッド(※)が実現できると考えています。AIの活用が進むと「1対N」の教室においても、画一的で一方的な教育ではなく、児童生徒1人ひとりが対話を重ねながら学ぶことが可能です。AIは各自の関心事や学習レベル、目的に応じた対応を可能にし、どこでつまずいているのか、次にどのようにステップアップするべきかという個別のサポートを提供できます。
※教師やファシリテーターが問いかけを行い、生徒や参加者がその問いに答えることで進行する手法
さらに、AIはソクラテスが語った「無知の知(自分が知らないことを自覚する)」をもたらすことも可能でしょう。AIとの対話を通じて、世界の複雑で多様な知識に触れる中で、自分がまだ知らないことの多さに気づく。「知らないこと」の発見は、次の好奇心を呼び起こすトリガーになります。
フランスの高校では、「真理に至る唯一の方法は対話である」ということを必ず生徒に教えています。たとえ結論が出なくても、異なる意見を戦わせることで、自分の偏見を越えて、新しい認識に到達できると考えられているのです。単純な正解に固執するのではなく、前提条件や目的によって解が変わってくる。AIはこうした理解を育むツールとして期待したいですね。
「AIが賢いから使う」という単純な話ではありません。むしろ、AIの登場以前から議論されてきた21世紀型の人材像に、AIの活用がうまくフィットしたと捉える方が適切でしょう。さらに、これまで人間にしかできないとされていた「知性を扱う」こともAIが踏み込めるようになった。こうした要素を踏まえて、学びや教育の現場は、従来の枠組みにとらわれず、変わっていく必要があると考えています。
押えておきたいのは、確率論的な生成AIの世界
― 生成AIは変化のスピードが早くさまざまな情報が飛び交っています。私たちが理解しておくべきことは何でしょうか。
生成AIに関する情報を見ていると、技術的な解説や表層的な捉え方に留まっているものが多く、誤解を招くようなミスリーディングが散見されます。
少し専門的な話をすると、コンピュータは出力に再現性がある決定論的な世界ですが、生成AIの世界は確率論的な計算モデル。生成AIは、何兆個というパラメータを駆使した、確率論的な疑似世界を写像する仕組みを持っています。
そのため、「AIが間違ったことを言う」「ハルシネーションが発生する」といった指摘や不安が広がりがちですが、こうした現象の背景には「確率論的な世界」で動作しているという特性があります。この点を理解しなければ、生成AIの本質的なポテンシャルを見誤ってしまう可能性があります。
たとえば、ChatGPTを開発したOpenAIでは、人工知能のレベルを5段階に規定しています。最新版では「チェーン・オブ・ソート(CoS)」と呼ばれる強力な推論能力を備えるようになり、IQ換算では120に相当するレベルまで進化しましたが、この技術はまだ発展途上にあり、今後さらに進化を遂げるでしょう。
このように、AI技術がさらに発展していく時代において、みなが同じ課題を解き、同じ答えを出す学習にどれほど意味があるのか、もう一度、教育の在り方を見直したいところです。
これまで対話的な学習は、時間や人材、環境といったコストがかかっていたがゆえに実現が難しかったわけですが、AIの活用によってそうした学びも実現可能になりつつあります。これは、先生方が以前から目指していた、より深い学びの実現に近づいているのではないでしょうか。
もちろん、私は人と人との対話が不要だと言っているわけではありません。AIが登場した初期には「人間の仕事がAIに取って代わられる」という議論がありました。しかし、現在では、AIを活用して自分の生産性を上げることが着目されています。私が代表理事を務めるAI教育推進機構でも、それを「AIと響創する力」と呼び、響創力を備えた人材育成を目指しています。
生成AIの力を引き出すには国語と数学が重要
― これからの教育を考えたとき、小中学生や高校生、保護者や先生が具体的に取り組めるもの、注力できることはありますか?
これについては色々な考え方がありますが、知識の必要性は下がっていく一方で、トレーニングが必要とされる教科は国語と数学です。
国語については、自然言語で生成AIと対峙していくのですから、自然言語を駆使しなければ恩恵は受けられません。そのためには、感情表現や感想文に重きを置いた国語教育だけでなく、事実を丹念に記述する能力や、自分の考えを論理的かつ構造的に表現する力を身につけることが重要です。
また、数理モデルの基礎として不可欠なのが数学です。これまで自然言語を扱う生成AIは、数理的な世界とは別だと認識されていました。しかし、生成AIを含む機械学習はすべて数理モデルで表現され、その処理は計算によって行われています。このことから、数学の基礎を理解することは、AIやデジタル技術を活用する上で欠かせない能力だといえます。
さらに、現在の生成AIが対応できない身体性や感性に関わる分野として、体育、図工、音楽が挙げられます。これらの領域は体験や経験値に依存する特性が強いため、授業においてもっと時間を割いた方がいいと考えています。
英語教育においても、「AIが翻訳や要約をしてくれるから、英語教育はいらなくなる」という話も聞きますが、AIを前提とした新しい英語教育は何が、それを再構築していくことが大切です。
AIを活用できるかどうかでより格差が広がる
― 今後、生成AIはどのように発展していくのでしょうか。保護者や先生はどのように付き合っていけばいいですか?
将来的には、生成AIを自然に利用する時代が来るでしょう。ただ、私としては前にも述べたように、教育現場や企業のリスキリングも含めて、AIを活用ができる人とそうでない人の格差は広がると考えています。
例えば、ある人は、生成AIを消費的・非教育的な用途に使い、自分の能力を向上させない。一方で、別の人は生成AIをどんどん活用して青天井の学びを追求し、知的好奇心を原動力に自分の世界を広げていく。使い方によって、個人の能力や成長に大きな差が生じてしまうでしょう。この差は、ゲーム依存による影響以上に深刻で恐ろしい結果をもたらすかもしれません。
とはいえ、生成AIを脅威に感じることはありません。私たちが生成AIを上手く活用できるようになればいいのです。これまで時間やコストの関係で断念していたことを生成AIでやってみるのはどうでしょうか。
例えば、学生へのフィードバック。大学では学生の授業評価においてフィードバックが非常に重要だとわかっていましたが、全員の課題を見てフィードバックすることは膨大な時間を要し、現実的には実現が難しいというジレンマがありました。
こうした課題に対し、ChatGPTのような生成AIを活用することで、課題の添削や評価、フィードバックコメント作成を効率化できます。また、学習に課題を抱えている学生を特定し、適切にケアすることも可能になります。つまり、教師が本来、一番やりたかったことが実現できるようになるのです。
一部では「学生がChatGPTを使って課題をやると意味がない」といった懸念が挙げられますが、生成AIを教師のサポートツールとして活用する視点を持つべきです。これにより、従来不可能だった学習支援が可能となり、教育の質を向上させられるでしょう。重要なのは、まず教師自身が生成AIを試行錯誤し、その可能性を理解することです。
これからは「シン人類」に向けた新しい「シン教育・学習観」が求められていくと考えています。